2019-02-28 第198回国会 衆議院 予算委員会 第14号
事件に抗議して、十月二十一日、沖縄県民総決起大会が開かれました。そこで県民が求めたことは何だったか。総理、これをどのように理解しておられますか。
事件に抗議して、十月二十一日、沖縄県民総決起大会が開かれました。そこで県民が求めたことは何だったか。総理、これをどのように理解しておられますか。
しかし、彼らは純粋ですから、いやいや、チャレンジだ、頑張ろうということで、彼らが立ち上がってワッショイワッショイやった結果、市も、よしやろう、商工会も、よしやろう、市民も、いいんじゃないかということで、決起大会まで開きました。それで盛り上がって、結局千葉になっちゃったわけでありますけれども。それはしようがないですよ。我々も千葉の成功を全力で応援したいと思います。
○福田(昭)委員 最後に地元の新聞の記事を紹介しますけれども、塩谷町長選、手塚氏、見形氏、三度目の激突ということで、特に、七月の二十四日開かれた手塚氏の決起大会。西川公也衆議院議員は、候補地として塩谷町上寺島は不適地である、急傾斜地につくるのは反対、町内の平場も反対、与党に頼まないで反対と声を上げるだけでは解決できないとアピール。
事件に抗議し、八万五千人が結集して沖縄県民総決起大会が開かれました。県民の怒りの広がりを受けて、日米両政府は、翌九六年、SACO最終報告に合意をいたしました。普天間基地の返還などと並んでそこに盛り込まれたのが米軍北部訓練場の部分返還であります。 パネルを見ていただきたいと思いますが、北部訓練場は、沖縄県の本島の北部の国頭村、東村にまたがる県内最大規模の米軍演習場です。
とりわけ、第一原発は、十五日にも、作業事故をなくすための安全総決起大会を開いていたんですけれども、そのさなかに作業員が左手の指を骨折する事故を起こしております。その直後の死亡事故でもあるわけです。第一原発の労災事故は、前年より二倍の六十四件も発生しており、極めて深刻だと言わなければなりません。 一方、高濃度汚染水については、東電は、年度内の処理完了は断念したと報告しました。
○水野賢一君 政治との関係でもう一点、ちょっと戻ったような話になりますけど、あれですか、会長は、今まで例えば選挙の決起大会だとか、会長がですね、政治家の選挙の、若しくは政治家のパーティーだとか、別にこれは今までそれに出ることは問題はないと思いますけれども、そこら辺についてはよくお出になったりとか、そういうようなことというのはあったんでしょうか。
ただ、そうした大臣の監督下にある業界が組織ぐるみでやってしまった公職選挙法違反のその行為に、大臣がそれに加担したわけでも、支援という言葉も使うべきではないのかもしれませんけれども、例えば大臣は、四月二十一日の園田修光前議員の鹿児島でのセミナー、いわゆる政治的に言えば決起大会になるんでしょうか、に出席をされております。
もともと同僚議員で、私も、園田氏の決起大会には行っているわけであります。 ただ、国会議員ですから、それは私も自民党の比例区の候補者をいっぱい抱えていますよ。それは山井さんも一緒ですよね。
田村大臣は、前回の答弁の中で、園田候補とは国会の同期なので、当然つき合いもあるし、決起大会とか何かのときに参加した記憶があるというふうに答弁されていますけれども、そうすると大臣は、園田さんはこのビラを見たらわかるように徳洲会の支援を受けているわけです、徳洲会の支援を受けているんです。
○田村国務大臣 決起大会で徳洲会の方とお会いしたという認識はございませんが、徳洲会の支援を受けられているということに関しては、それは私も認識がございます。 それは、支援というのがどういう支援かというのは別ですよ。
○田村国務大臣 園田当時候補とは国会同期でございますから、当然おつき合いもありますし、参議院選挙に向かっての決起大会か何かのときに参加させていただいた、そういう記憶はあります。 まず、そのビラ、申しわけありません、ビラの内容、私、ビラ自体を確認したことがないものですから申しわけないんですけれども、そこには働きかけていきますと書いてあるんですか。
そしてまた、麻生大臣は、私が候補者のときに決起大会に来ていただきまして、御講演をいただきました。おかげさまで初当選をさせていただきまして、感謝をしております。本当にありがとうございます。 本日は、山口副大臣そして竹内政務官、どうぞよろしくお願いします。竹内政務官も京都が地元ということで大変お世話になっておりますが、どうぞよろしくお願いを申し上げます。
決起大会に来賓で出る寸前だったんです。 テレビで、煙が出ておりました。本省に電話をかけて、どうだと言いましたら、あの煙は変圧器の油が燃えているので本体とは無関係ですと。本体にどうだと言いましたら、火が燃え移る危険性はないから大丈夫ですと言われましたけれども、画像で煙が出ている以上は、申しわけないけれどもと言いまして決起大会を直前でキャンセルして、飛行機で帰りました。
日米安保と地位協定からしてみれば、ヘリコプターを新しくするんだから当然入るということになるけれども、八月八日に行われる決起大会が九月九日に変わっているけれども、今の沖縄の険悪な空気というふうなものを考えた場合に、簡単に十月に普天間にオスプレイが入るということに関しては、更に更に重要な検討が必要だということを申し上げておきたいと思います。 願わくば、別の方法がないか。私の頭の中にはありますよ。
沖縄は四十一市町村みんな決議を上げて、八月五日に向けて十万とも十五万とも二十万とも、そういう県民総決起大会の準備が進んでおることは総理も承知と思います。 これは、今まで六十七年間やりたい放題にやられてきた沖縄県民の不服従の闘いなんです。だから一本にまとまって、知事を先頭にしてまとまっていこうというわけです。戦後最大の抵抗として、普天間基地の機能が崩壊されていく、こういう動きになります。
つい最近の六月九日、私の地元の釧路市でも、交渉参加断固阻止総決起大会というものが開催されまして、仲野政務官ともども大会に参加をさせていただいたところであります。
あれは、犠牲になったお母さんや同級生や地域の人、あるいは中部全体の人々が何回も総決起大会を開いて、沖縄の関係機関に必死に訴えて、これは裁判にかけるべきであると、ちゃんと手続を踏むべきであるという、そういう虐げられ、犠牲を強いられてきた人々がやむにやまれず立ち上がって政治を動かし、あるいはアメリカを動かし、日米合同委員会でそういう方向付けができたんだと私は理解をしておるんです。
これからの質問の幾つかは、南相馬市復興市民総決起大会というのがこの間の日曜日に行われました。そのときにいただいてきた陳情書そのものでございますが、ある程度、てにをはは私の方で切らせていただきます。ということは、ずっと政府とやってきたものが相変わらずこのような形で要望されているということなんです。ですから、その経緯を含めて、どうぞ簡単にお答えをいただきたいと思います。
その次に、九八年には、岸本市長の総決起大会、防衛施設局長が総決起大会の集会に参加するように文書を送ってこれを入り口の前でチェックした、そういうふうなことが行われているんです。そのときも、そのときの政府は容認しているんです。そのときの防衛大臣は久間大臣ですよ。 その後、今度は二〇〇六年の仲井真知事の選挙、糸数さんとの選挙。
去った十一月十三日の私どもの主催する総決起大会は、千四百名集まった復帰以降初めての大会なんです。その前は一九五六年に、沖縄にプライス調査団というのが来たんですね。プライス調査団の勧告によると、沖縄の米軍基地一括払いだと、いわゆる買上げだという勧告をして沖縄の世論が二分したんです。
まず、十一月十三日に軍用地主総決起大会がありました。私は自分のこの議員会館の部屋で琉球新報を取っているんですけれども、中央紙と比べますと、この報道量が明らかに小さい。沖縄の問題を全国民の問題としてとらえていない中央紙の方針に違和感を常に感じているものでありますが、例えば十一月三十日の見出し見ますと、沖縄防衛局長を更迭、辺野古評価書、不適切発言と報じております。
そして、浜比嘉会長には、十一月の十三日のあの軍用地主会の総会、私は戦後の総決起大会、あの島ぐるみの土地闘争のときの総決起大会を思い出して、これまた興奮をしていました。いわゆる銃剣とブルドーザーに押しまくられて沖縄の基地ができていったときに、沖縄の先輩たちは、四原則貫徹を貫くために当時米軍機を利用して沖縄からワシントンDCに乗り込んで交渉をしてきております。
続きまして、私、先週、実は岩手県の久慈市というところに行ってまいりまして、命を守るリアスハイウエーの早期実現、そして八戸・久慈自動車道の早期実現ということの決起大会に行ってきました。久慈市の文化会館というところでやられたんですけれども、もうほとんどいっぱいでして、私本当に、被災地で別に飲食があるわけではないのにこんなにいっぱいの人が集まって、本当に熱い思いだなということを感じました。